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尾関 大輔さん(昭59卒)

尾関 大輔さん

ファイナンシャルプランナー
(昭59卒)

1965年岐阜市生まれ。
青山学院大学 経済学部卒業後、情報誌・ぴあ入社。
2000年より独立。ファイナンシャル・プランナーとして中部地方を中心に活動。
趣味は作詞作曲・音楽演奏活動・フラダンス・三味線演奏。

北高で過ごした3年間がその後の人生の礎となっている。
目立つのが大好きだった高校時代や人生を見つめ直すきっかけ、そしてどん底からの奮起。
自分で道を切り開いていくには、周りの支えがあり、いつも大切な人たちが導いてくれた。
亡き妻、家族、師匠、仲間。そして音楽。(聞き手 加藤 信子(平6卒))

歌うファイナンシャル・プランナーを始めるまで

 部活はサッカー部でキャプテン。体育祭では朱雀の応援団長。北高祭ではバンドを組んでローリングストーンズの曲を演奏。目立つことが大好きでした。そして青山学院大学に進学し経済を学び、志望通りマスコミに就職。バブル最盛期のマスコミはほっといても広告が入るような時代でした。しかし入社3年目にバブル崩壊。両親から「良い人生」と刷り込まれてきた筋書きは崩れ去り、社会でどう順応するか、どう生き抜くかは知る術がなかった。「これじゃあだめなんだ」と初めて思い知った。会社は赤字に急転し、その2年後に退職。世の中は就職氷河期でとにかく生きるのが大変でした。
 そんな中でも、舞台女優の過去を持ちながらも社会でバリバリ働く女性と出会いました。結婚し、娘にも恵まれました。主夫をしていた時期や、音楽家・宮下富実夫氏の弟子として長野山中で修行した時期もありました。
 30歳の時に帰郷してからは会社員として働きました。そして二女が生まれたその矢先、妻が急死。出産して10日後のことでした。
 〝どうやって生きていこうか… 子供2人をどう育てていこうか…〟そんな時にファイナンシャル・プランナー(以降FP)というものに出会いました。FPは〝顧客の人生や夢を目標にして具体的なプランを立てる〟仕事だと知り、自分の現状と重なりました。サラリーマンは先が見えず閉塞感でいっぱいだった世の中で、自分のライフプランを考えるためにFPを学んでみたいと思いました。税金や社会保険など、身近な問題なのに知らなかったことを勉強していくのはとても面白くて、そこから一気に学びを深めていきました。出産時や死亡後に請求できるお金があることも学ばなければ知ることもなかった。妻に導かれた気がしました。
 そして半年間、語学留学のためにハワイ大学へ。帰国後、独立開業。35歳の時でした。開業したもののアメリカ発祥のこのFPという資格は当時あまりなじみがなく、金融機関勤務経験ゼロの自分に当然仕事はありませんでした。生命保険会社や証券会社や銀行など金融機関の社員でFPを勉強する人が増え、資格学校の講師で食いつないでいましたが、顧客は増えず貯蓄が枯渇。そんな時に、FPで成功している人を知り福岡まで通いました。そこで、〝自分が得意な歌にしてわかりやすく伝えればいいじゃないか?〟とひらめいたのです。そこから、年金や税金、社会保険の話を歌詞にしてギターで作曲。「老後資金ブルース」「銀行エレジー」「ファイナンシャルプランナーズロック」など。〝歌うファイナンシャルプランナー〟という肩書でCD発売。雑誌・テレビ・ラジオ・新聞で取り上げられ、講演の仕事が増えました。徐々に顧客が増えて軌道に乗り始めました。

転機

 …そして40代半ば。サブプライムローンとリーマンショックを経験。
 金融への不信感から講演の仕事も顧客も激減し、再びどん底へ。2007年。あっという間に景色が変わりました。自宅兼事務所を売却、時々くる講演の仕事と残ったわずかな顧客の対応を大切に繋ぎながら、昼間は介護施設、夜は塾講師、その後スーパーのレジ打ちのトリプルワークでやりくり。再婚し息子が生まれ、子供たちを育てていくのにとにかく必死で働きました。約10年間、本当に大変でしたがこの時期に経験したことは、後の人生にとても役に立ちました。いろんな仕事があり、いろんな人がいて、人生も考え方もそれぞれあって。
 どん底の時でも手を差し伸べてくれる友人がいました。宅建の資格を活かし、不動産会社の雇われ店長として仲介を2年間。他にも住宅ローンの仲介もできるように資格取得し、後に仕事を紹介してもらいました。そして「ライフプランニング・不動産の仲介・住宅ローンの仲介」の3本柱で仕事の幅が広がりました。

FPとして

 自分の強みは、複数の目線でその人の人生に寄り添えること。
 例えば不動産を仲介する立場では旨みのある話でも、その人のライフプランの面では本当にそれがいいのかを一緒に考えたり。親の思い、子の思い、妻の思い、夫の思い。掘り下げていくととても奥が深いんです。お互いを思い合うが故にうまく伝わらないこともある。だから自分の役割は〝感情の交通整理〟だと思っています。
 金銭的に無理だと思い込んでいたことが、感情の交通整理をすることでワクワクするモチベーションで過ごせるのではないか。そのために、ライフプランを考える時に相談できる環境があるということをまず知ってもらいたい。そして知ることで、自分のなんとなく描いていた人生のベクトルを少しだけ変えるきっかけになれば、5年後10年後の人生を少し変えることができるんじゃないかと思うのです。
 ライフプランというのはただ数字の羅列ではありません。例えば家を買いたいと思った時に、現実と向き合い将来の不安から入りがちです。でも家を買うことが最終目的ではないはず。家を買ってその先にどんな夢を叶えたいのか、どんな家族の形だったら幸せかを一緒に考える。幸せの形は人によって違うし、老後2,000万円あっても不安に思う人と、そうじゃなくても幸せと思える人がいるというように。
 いつもテーマである原点「人生の夢の実現」に還るようにしています。その人の夢にどこまで寄り添えるか、そしてそのためにはお客様と夢を共有し信頼関係を作れるかどうかがとても大事だと感じます。
 人生には限りがあります。仮に何歳まで生きるとして、限りある時間をどうやって幸せに生きるか。みんなに与えられたテーマでもあります。20歳の人は1—20、60歳の人は1—60というように1年は早く感じる。その人の人生の航海図を引き出せたらいいなと思います。

音楽と自分

 どん底の時に奮起したきっかけ?やっぱりロックンロール!仕事も生活も変わったけど音楽活動だけはやめていない。今もライブ活動をしています。どん底の時こそ音楽に助けられた。そして一緒に楽しめる仲間がいました。
 夢は人生の応援歌をずっと歌い続けること。あなたは素晴らしいということを伝え続けること。目の前にいる人に向けて作曲しその人が喜んでくれると、自分を必要としてくれる人がいる、まだまだ自分にはお役目があるのではないかと思うのです。
 3年前に父と母に歌をプレゼントしました。すごく緊張しながら歌ったけど、とても喜んでくれました。
 好きな歌詞は「出過ぎた杭は打たれない」。出る杭は打たれるけど。人と一緒とか、誰かがやっているからこうじゃなくて、自分は自分の信じた道を行くべきです。
 近々の目標は、YouTubeやTikTokを覚えたい。息子に教えてもらおうかな。(笑)

北高について

 北高は今も昔も自由な校風で、先生方が親身になってくれる。
 当時サッカー部は顧問不在だったため練習メニューを自分たちで考え、県大会でベスト16までいった。それが自信となり、「ここまでやれたから受験もやれる!」と自分を信じて努力することができました。
 気にかけてくれる先生がたくさんいて、わからないことはわかるまで根気よく教えてくれました。40点台から90点台に上がった日本史の先生はよく覚えています。
 仲間はいるけど群れず、自分の道を自分のペースで決めてこられたし、それを許してくれる空気がありました。信じてくれていたんだと思います。
 自由な校風で自分の道を歩ませてくれた北高魂と、仲間と協力したことで諦めない精神を養ってくれたことと、手厚く心温まるサポートをしてくれた先生方に感謝です。

北高生へ

 夢が自分を育ててくれる。今起こっていることはどこかで必ずつながる。無駄なことは1つもない。今この瞬間を大事にしていきましょう!心が痛むのは昨日のことを後悔しているからです。今を精一杯生きれば痛みや不安はなくなるはずです。
 ロック的に言うと「今この瞬間サイコー!みんなもサイコー!」かな(笑)
 長女の結婚式、バージンロードを歩く直前、娘がふとつぶやいた亡き母への思いにぐっときたという。こらえながらそう語る姿に思わずもらい泣きしました。
「『パパみたいな人とは絶対結婚したくない!』って言ってたのに・・・ムコさんは何となく雰囲気が俺に似てんだよなあ(笑)」と嬉しそうに語る。ライフプランを相談したくなるような素敵な方でした。

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